競馬の歴史

会社に入社してすぐのころ、競馬仲間が新たにできる。
友人A(現在はもう会社を辞めているので会えないのだが)は、
大学時代からずっと競馬に親しんでいたらしく競馬に関する知識が豊富、
彼からいろいろと競馬の知識をもらう。ただ、相変わらず、
競馬新聞の印の厚いところが強い馬という考え方からは抜け切らないでいた。
彼から受けた影響はやはりJKによるところが大きい、
血統により芝、ダートに対する適正があること、ブリンカー、シャドーロールにより
大きく走りの変わる馬がいること、左回り、右回りによって走りの変わる馬がいる
ということ等、今から考えると、よく予想のファクターにされることを
彼から教えられたような。
ここから、血統、芝ダートの適正、コース実績と近走の着順などを
元に選択馬を選ぶことになっていく。これにより、いきなり凡走していた馬が
好走するなどもなんとなくなっとくできるようになる。
そして、高配当もゲットしたりと調子に乗る。2ヶ月間負けなしなどもあった。
予想の軸のようなものができたと思い込んでいた。
ただ、それも結局のところ、運だった。近走の調子の良さといっても

結局着順だけみているだけなので、弱い馬だけのレースでの着順がよい等、
そういった観点でみてないこともあり、連敗街道をバクシンすることもあり、
収支は良くなるわけでもなかった。
近走の調子がいいということは予想家達の印は集まるわけで、儲けはそれほど無い。
なんというか自分の予想が一貫性の無いものだと思い知らる結果だけが残った。
だからといって、今も一貫性があるかというとまだまだなんだが。
このような芯となるものがない予想のままでいた私は今の競馬メンバである
大学の友人F、FJ、Fの友人達とよくつるむようになった。
つるみ始めた最初の時期は予想に芯が無く、負けるとすぐ違うファクターを求める
というあやふやな状況がつづいていた、自分の予想に自信を持てず、
よく、F,FJと競馬論議する際は考えさせられることも多かった。
ただ、あるページとの出会いが私の予想を大きく変える結果となったのである。

 

 

私の予想を大きく変える出会いはふとしたことから始まった。
それは、友人Fからいいページが有るとの情報で見ることになった「スピード理論」を
軸とした予想を展開している河男さんのページ(今はもう休止されたますが)との出会いである。
明確な予想の芯の無い私にとって、「スピード理論」はまさに稲妻に打たれたような気分とさせた。
そして、河男さんの馬券的中のすばらしさ、レース回顧も理論に基づいたもので、
馬券を外しても買ったことはしっかりとした理論にもとづいていることなど、
共感を受けた。一番共感をうけたのは、馬の力を数値化することで比較が取れること、
理論に基づいた購入は後々の反省しやすい、これは非常にとっつきやすいものでした。
ここから、自分の中での「似非スピード理論」確立が始まりました(ただ、まだまだ確立し切れてないけども…)。
「スピード理論」…一番早い時計でコースを走った馬が一番という馬の力を
タイムという観点から数値化して測り予想する理論。
その日の馬場状態、斤量、その馬のコースの持ちタイムが、
平均タイムと比べてどうかという点で数値化してあらわす。
この理論は馬が目いっぱいの力で走ったときを基本としているのだが、
今ではスローペースにより馬が目いっぱい走ったタイムにならない点も考慮し、
先行指数、上がり指数も考慮されているようですが、

その辺の詳細は本や理論について述べられたページを参照ください。
「似非スピード理論」を確立する上で変わったのは、馬のもつ力を数値的に判断して
予想するようになり、予想にタイムというよりどころができたこと。
あまり変わった要素が予想に入らず予想に一貫性が出た。よって、後々、負けたときの
反省ができることが変わった。そして何より、万馬券等の高額配当が運でなく、
自分の理論に基づいて取れるようになったこと。数え始めたら切が無い程変わったなと
今でも思う、この「スピード理論」との出会いは非常に良かったと思える。
最近は、負けたときの反省を余りできていないこと、
予想時間が少なくアバウトな部分が多いこともあり、反省すべきところは大きい。
これからどう理論を膨らませていくか考えなければならないな。


inserted by FC2 system